ミドルのべるワールド

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    「さあ、天気も良くなったしいまからやで」
     と木村は針にエサをつけ始めた。
     丁寧につけているなと思って見てみると、オキアミを三つほど針にぶら下げていた。

    「ひとつやから食いに来んのや。沢山つけたら海中で目立つから魚も気になって寄ってくるで」
     妙に説得力のある木村の言葉に律子も真似てみた。

     午前中と潮の流れが変わったのか玉ウキは沖の方には流れない。
     足下の岸壁の際にくっついたままだ。

     沖から岸壁に向かって潮が流れているのだろう。
     一時間ほど粘ってみたが当たりはなかった。

    「えーい、昨日の海といっしょや」
     木村がやけになって竿を振る。

    「昨日の海って?」
    「海物語よぉ」
     パチンコの海物語という機種のことだった。
     鮫やカニ、タコなどの絵柄が三つ揃ったら五千円分の玉が出てくる。
     律子もお気に入りの機種だ。

    「あんた確か昨日は久しぶりに洗濯するって寮に居たんじゃないの」
    「手がうずいてな。結局七時頃から行って一回もそろわんかったんや。オレは海は嫌いやっ」
     ふてくされる木村に律子はあきれ顔を返した。
     木村は律子に目も合わせず海面をにらんでいた。

    「どうですか?」
     突然の声に二人とも驚いた。
     振り返るとあの老人が立っていた。

     三時のじいさん、律子はそう思って老人を見た。

     律子と木村は五メートルほど離れると、餌をハリに刺して海中に落とした。
     小さな玉ウキが皺だった海面で揺れる。

     玉ウキは二人の間隔を保ったまま斜め方向に流れていく。
     律子が玉ウキを見失いリールを巻く。
     合わせるように木村も巻く。

     何の手応えもなく玉ウキは寄ってくる。
     水面を切ると玉ウキを支点にしてオモリと餌が風に揺れる。
     掴んでみると餌のオキアミの上半身が無かった。

    「喰われてたんや」
     律子は木村に見せると無邪気に笑った。

     それっきり餌が食いちぎられることはなかった。
     結局昼までの二時間、餌がふやけたので三回ほど付け替えただけだった。

     岸壁から竿先だけ出して昼食にした。
     コンビニ弁当は冷え切っている。

     風は陸から海に向かって吹いていた。
     ナイロン袋が風に舞う。

     陸よりには倉庫や建物もあるが、埋め立て地の先端というのは風を遮るところがない。
     律子は硬くなった飯を箸で起こしながら、荒涼とした空き地を見渡した。

     間近の高層ビル群がここも大都会の一部だということを伺わせる。
     が、ふと、こんな空き地に何の意味があるのだろうかとも思った。

    「ここってうちの会社が締め固めたんかなぁ」
     と、木村が焼き魚の骨を口から引っ張り出した。

     律子は言われてなるほどと思った。
     目前の雑草の大地はよく見ると真っ平らである。

     ローラーで整形しなければこうはならない。
     木村は弁当と箸を持ったまま立ち上がった。

     今居る十メートルほどのコンクリート舗装から雑草まで行くと地面を蹴った。
     律子も続いた。

     つま先に固い感触があった。
     草は根っこだけ残してちぎれた。

    「ん、やっぱ締め固めてあるわ」
     木村は口元を緩めた。

     ローラーで整形しても、雑草が生えたまま放置されるのだったら締め固める意味はない。
     きっとつくる時には立派な利用計画があったのだろう。

     荒涼とした空き地に空っ風が吹きすさぶ。
     二人は黙って元の場所に戻った。

     木村は食べ終わった弁当箱を海に向かって投げた。
     風に乗った弁当箱は予想以上遠くまで飛んでいった。

     すげー、と木村が少したまげた表情で振り返る。
     律子は、もっと飛ばしてやろうと立ち上がった。

     弁当箱をフリスビーのように持って格好を付けた。
     木村が笑う。

     律子はありったけの力で弁当箱を放った。
     なぜか、弁当箱は直ぐに急降下して、あえなく足下の海水に着水した。

    「お前へたっぴやなー、ちょーへたっぴー」
     と、木村が律子の弁当箱を指さして嘲る。

     木村は何を言っても嫌みのない人間だった。
     仕事で詰られたり嘲られたりしたこともあるが、全然腹が立たない。
     律子は自分が寛容だからとは思っていない。

     同じように詰られても他者に対しては不快感を持ち反発もする。
     木村に対してだけなのだ。

     どことなく憎めない人間というのはいる。
     それが木村のような人間だと律子は思っていた。

     例えば今のゴミのように、捨ててもどうってことない場合には何の躊躇もなく捨ててしまう。
     誰か人がいれば彼は決して捨てなかっただろう。

     仕事にしても、あっさり休んでパチンコに行ってしまう。
     有給休暇とはそう言うものだとわかっていても、なかなか実行出来るものではない。

     むしろ堂々とやれば勇ましくもある。が、木村の場合、仮病を使うのだ。
     それも見え透いた仮病。

     木村君は今日頭痛で休むらしい、と皆に伝える上司の口元も緩んでいる。
     豪雨で作業中止などという日なので、彼も許されるのである。

     それでも、会社のある日にパチンコなどいささか気が引けるのか、彼なりに注意は払っているようだ。
     終日パチンコ屋にいれば強烈な煙草の臭いが服に染み付く。
     木村は寮のおばさんにばれないようにと、帰ったら真っ直ぐ自室に向かい着替えるのだ。

     で、なぜばれるのかというと、そんな時に限って勝っているのである。
     勝てば黙っていられない性格。

     同僚らの帰宅を待ちかまえ、絶対に言うなとの前置きでパチンコの勝利の方程式が説かれる。

     また、木村は不器用でもある。
     ソフトボールをすれば三振、トンネル。

     ボーリングをすればガーターの連続。
     体格があり腕力が強いのがよけい嘲笑に拍車を掛ける。

      仕事でも、律子がうまくいかずとまどっていると
     「ちょっとオレにやらせてみろ」
      などとしゃしゃり出るが出来たためしがない。

     そんな木村に詰られても嘲られても全く効き目はないのだ。
     お前は何なんだよ、他人に言えるがらかよ、と心の中で言ってしまえば自然と笑みもこぼれてくる。
     とにかく憎めない奴だと律子は思っていた。

     いつの間にか薄日が差して暖かくなっていた。
     少し風が収まったような感じだ。

    「ねえ、今仕事している隣の埋め立て地に行ってみない」
     律子が言うと、「三時のじいさんか」と木村が微笑んだ。

    「きっと穴場に違いないわ」
    「でっかいチヌが釣れるってか」
     木村は鼻を啜った。

    「そうそう、チヌって黒鯛のことやって」
     律子は思い出したようにインターネットで調べたことを話した。

     木村は話を聞き終えると、黒い鯛なんて初めて知ったわとだけ言った。
     律子も調べるまでは黒い鯛など聞いたこともなく、もちろん見たこともなかった。

     ただ、インターネットによると大阪湾で最も一般的な釣魚とされていた。
     歴史も古く大阪湾はかつてチヌの海と言われていて、今から十一月までが一番釣れる時期らしい。

     約束の土曜日、二人は自転車で近くの釣具屋に向かった。
     仕掛けを色々見たが、結局、店頭に置いてあった全て一式セットを手に取った。
     九百八十円なのに竿もリールも仕掛けも何もかもついている。

    「最初はこんなんでええんやないか」
     と木村が苦笑いした。

     律子も同意し、餌のオキアミを買い足して四号岸壁へと向かった。
     コンテナを積んだ大型車が行き交う臨港線を横切る。倉庫街の向こうに海が揺れていた。海の色がいつもより濃く、点々と白波が立っている。律子は木村の言った、混ぜられたらよく釣れるという言葉を思い出した。

     いつも老人が止めているところに自転車を置いた。
     岸壁を海沿いに進むと潮の香りが鼻を撫でる。

     台風は逸れたが、真っ黒な雲が早く流れていた。
     時折、日光がサーチライトのようにひかりの帯をつくっては消える。

    「きっと昼から風も止んで晴れるって」
     と木村は爽快な表情だ。

     律子は、濃く混ぜられた水面に目を落とし胸を躍らせた。
     チヌが釣れるかもしれない。

     小さなクーラーボックスでも買えば良かった。
     何匹か釣れたら寮のおばさんにあげよう。
     などと、勝手な想像を膨らませる内に埋め立て地の先端に到着した。

     風が強いせいか遠くまで景色がはっきりと見える。
     淡路島や明石の橋までもがくっきりと浮かび上がっていた。

     意外にも船がいない。
     大きな貨物船が行き交っている風景を想像していたが、一隻も見えない。

     紅白の煙突のようなパイプを数本立てた、工事用の船が直ぐ横に着岸されていた。
     律子はナイロン袋を開けて釣り竿を取り出した。

     思ったよりもしっかりした製品だ。
     リールの使い方が説明書に書いてある。

     二人は確かめるようにリールの金具を立てたり倒したりした。
     竿長は三メートルほどあり直立した岸壁での釣りには十分だった。

    「深さどんだけあるんかなあ」
     木村が海面を見下ろす。

    「結構深いんとちやうのん」
     律子には想像もつかなかった。
     山育ちの二人にわかるはずがない。

     海を埋め立てる仕事をしていると言っても、土地になったところを閉め固めているだけなのだ。
     二人とも海の知識はほとんど無い。
     

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