ピアノマンは順子さんが着座すると口を開いた。


 私の父は神戸港の荷役会社の社長でした。

 私も若い頃からその会社で働いておりまして、家内とは見合いで結婚しました。


 家内は高校の音楽教師をしていましたが結婚してすぐに辞めました。

 ジャズが好きであちこちの店にジャズを聴きに行っていたようです。


 私は仕事しか興味の無い人間でしたので、ジャズなどというものの良さはわかりませんでした。

 だから、家内と二人でジャズを聴きに行った記憶はありません。


 家内はいつも女子大の時の同級生らと行っていたようです。

 私たちには子供がいませんでした。


 家内はそのことについて悩んでいました。


 雅也は、養子です。

 二歳の時に私の姪の家から我が家に来ました。


 私と家内は五十歳になっていました。

 雅也が小学四年の時に阪神大震災が起こり家内が亡くなりました。


 姪の家族は主人も長男も次女も亡くなってしまいました。

 皆が茫然自失となる中で、姪が雅也を引き取りたいと家に来ました。


 姪は平常心を失っていました。


 子供の雅也には最初どのようなことなのかわからなかったようですが、やがて気がつくとしばらくは落ち込んでいました。

 私は雅也を実の母のところに行くようにと説得しました。


 でも雅也は行きませんでした。

 ついに姪は精神疾患と診断され入院しました。


 二、三年ほど入退院を繰り返したあげく自ら命を立ちました。

 その時雅也は中学生でした。


 優しすぎる性格からか、学校でいじめに遭ったようです。

 私は顔を腫らして帰ってくる雅也を見て、何度も先生に訴えましたが何も変わりませんでした。


 雅也は不登校になりました。

 私は学校なんか行かなくていいと思いました。


 幸いなのは私の荷役会社が好調なことだけでした。

 経済的には何の不安もなく、お手伝いさんまで雇って私と雅也は不自由なく暮らしました。


 雅也は独学で高校に行きました。

 高校というか大学に入るための専門学校です。


 そして、雅也は神戸大に入りました。

 私は天にも昇るほど嬉しく喜びました。


 それが入学して一年経とうかという時に、病院から連絡がありました。


 自殺未遂です。睡眠薬でした。

 退院してもめまいや幻聴が続き、引きこもりになってしまいました。


 家のカーテンはずっと閉じられ、食事すらままならない状態となりました。

 その最中、私が健康を損ねました。


 糖尿病による脳梗塞で歩行障害が残りました。

 病院でリハビリをするうち、退院したら雅也と一緒に死のうと思うようになりました。


 それが、私が自宅に戻ると雅也が部屋から出てきて、私の世話をしてくれるようになったのですっ。

 

 話を切ったピアノマンは、体を揺すって嗚咽した。

 順子さんが両手で顔を伏せた。

kbdstanding-e1470586037111