風来の万博小娘

アウトドアや釣り自動車関連の記事を掲載しております(*^^)v

    2019年04月

    「お若いから、雅也君パソコンにお詳しいんでしょう」

     順子さんの言葉にピアノマンは笑みをつくった。


    「ええ、学生の時には何かの資格を取ったようです。私にはわかりませんが」

    「この方はガバチャさんってみんなから呼ばれてるんですけど、パソコンに詳しくてね、あたしも今年七十三になるんですけどインターネット始めたんですわ」


    「いや、僕はぜんぜん雅也君にはかないませんわ。若い人は新しい事に機敏について行けますのでね。きっと雅也君にいろいろと教えてもらわないといけないぐらいですよ」

     そう言って顔を振ると、石川先生が部屋の隅に目をとめていた。


     おびただしいレコードが積み上げられている。


     古い家具に囲まれて気がつかなかったのだが、その横には大型のステレオもある。

     昭和四十年代後半に流行った型だ。

    世界各地の膨大なレコードコレクションをチェックしよう

     石川先生が口をはさんだ。

    「あの、ピアノマンさんもブログかなんかされているんですか?」

     ピアノマンは明るい表情をつくると

    「雅也に七十の手習いで教えてもらってます。最近はこれ一つでいろいろな買い物も出来るので助かってます」

     と答えた。


      この家ではパソコンは必需品なのだろう。

     年老いた車椅子の父と息子の二人暮らしでは、食事も思うようにならないはずだ。


     今時は日用雑貨だけでなく給食までインターネットで申し込めば配達してもらえるし、庭の手入れなども業者に申し込めばよい。


     そうしなければ、この二人は自分たちの生活を維持することは出来ないのだろう。

     あのうら若い物静かな青年が、働きながら父の面倒を見ているとは思えなかった。

    ac15ea5e3bcc2c719f84dab49f0807cba3d57ab6_92_2_2_2

    「私の動画見て思い出されたんやね」

     順子さんが目を潤ませる。

     はい、とだけ返事をすると、ピアノマンは急に口を結んでコーヒーを置いた。


     その表情は何か言いたいことをこらえているようにも見える。

     沈黙の中、青年が小さな会釈をして一階に消えていった。


     庭の木で小鳥がチッチッとじゃれ合って飛び去っていく。


    「ここはいろいろな鳥が来て楽しめます」

     ピアノマンはコーヒーカップに視線を止めたまま独り言のようにつぶやいた。

     僕らはじっと黙って窓外に目を移した。

     生ぬるい風が頬をなでる。


    「雅也はほんとに優しい子でしてね」

     ピアノマンの声が妙に透き通って聞こえた。


    「ほんまに優しそうな顔してはるもんねえ。あたしもあんな子が欲しいわ」

     何気ない順子さんの言葉に、ピアノマンは短く微笑むと視線を落とした。


    921c5ec8

    「若いからパソコンお詳しいんやね」

     順子さんの問いに青年が口元を少し緩めたように見えた。


    「私の家内も歌が好きでしてね。ま、阪神大震災で亡くなりましたけど」

     笑顔の順子さんが表情を一転させる。


     石川先生が飲みかけたコーヒーをカチャリと置いた。

    「家内は高校の音楽教師でして、うちでよくアメイジング・グレイスを聴かせてもらいました」

     ピアノマンは笑顔のままコーヒーをすすった。


     ピアノマンからはじめてコメントがきたのは確か順子さんのアメイジング・グレイスの動画を投稿したときだ。

     奥さんを思い出してコメントを寄せてくれたのだろう。


     それにしても、僕は青年のことが気になっていた。

     物静かと言うよりかは表情に乏しい。

     色白で美男子ではあるがどこかうつろな目をしている。



    「あの左手の陸地ですね」

     と石川先生が指を差す。


    「ええ、あれが大阪府と和歌山県の県境の和泉山地です。私の生まれたところはそこからまだ遙か遠い、那智勝浦町というところです」

    「へー、行ったことないけど良いところなんでしょう」

     順子さんの言葉にピアノマンが目を細めた。


     いつの間にか青年がコーヒーとショートケーキを運んできた。


    「さ、まぁお座りください。何もございませんが」

     と、うながす車いすのピアノマンを青年がゆっくりと押す。

     僕らはピアノマンを囲むように応接セットに対座した。


    「私もこの年になってパソコンとかを見るようになりましてね、じゅんちゃんに会えてほんとうに嬉しい限りです。なにもかもこの子のおかげですわ」

     ピアノマンは相好を崩した。


     ac15ea5e3bcc2c719f84dab49f0807cba3d57ab6_92_2_2_2

    「ピアノマンさん、息子さんと二人暮らしなんやて。さ、入って」

     門をくぐると、二階のバルコニーから老人の声がした。


    「ようこそいらっしゃいました。さぁ、上がってください」

     僕と石川先生は頭を下げながら、家の中に入っていった。


     洋風な作りで靴のまま広い階段を上る。

     壁には古ぼけた絵画がいくつも掛かっており、どれも港の風景だった。


     二階が大広間のリビングになっていて、アンティークな応接セットが真ん中に置かれていた。

     バルコニーに出ると心地良い風に吹き付けられた。


    「うわー、すごいなー」

     石川先生が思わず声を上げた。眼下に神戸の港が映る。


     幾何学的な埋めたて地に突き立った高層ビルの群れ、巨大ロボットのようなコンテナを荷揚げするガントリークレーン、その合間を白いボートが白線を引いてまっすぐに走る。


    「ここからは私のふるさとの和歌山が見えるんですよ」

     ピアノマンが口を開いた。


     よく見ると霞んだ水平線の左手に陸地のような黒い塊が乗っかっている。

    lg_1722_56c0e7088d9d2

     三人が家の中に消えるのを見計らって、僕らは門前に近づいた。

     MIYAKEという粋な表札がかかっている。


     広い庭の芝生は手入れがいきとどいており、所々に赤や黄色の花がほころんでいた。

     携帯の着信音が鳴る。


     石川先生がボクの胸ポケットに目を落とした。

     僕が慌ててその場から離れると石川先生も後についた。


     走りながら携帯を取り出すと着信表示が順子ママとなっている。

     順子さんからや、と石川先生に告げて通話ボタンを押した。


    「あもしもし、ガバチャさん。今どこにいはんの。三ノ宮におるんやろ」

    「ええ、今センター街にいますわ」

     荒れた息を整える。


    「そう、あたしの友達の家にけえへん。すごく良いところよ」

     順子さんはいつもの調子だ。


    「へー、どこなんですか」

    「異人館のうろこの館の近くよ」


    「今、石川先生先生も一緒なんですけど」

    「ああそう。ならちょうどええやん、石川先生も一緒に来はったら」


    「わかりました。じゃあ二十分後ぐらいに着けると思います」

    「はいはい、わかりました。近くに来たらまた電話ちょうだい。うろこの館のすぐ近くの白い大きなお家で三宅さんって表札がローマ字でかかってますので」


    「はい、わかりました。ほんじゃあ」

     事前の打ち合わせどおりだった。


     僕と石川先生は到着時間を合わせるため、少しぶらついた。


     うろこの館に近づいてからは、順子さんに電話を入れるまでのことはない。

     それらしき家がすぐに見つかったでいい。


     僕らは時間調整をして白い家の玄関前に立った。


     呼び鈴を押す。順子さんの大きな返事があった。

     満面の笑顔で出てきた順子さんは、僕らに近寄ると小声で言った。

    170996_1

     順子さんが吸い寄せられるように歩み始める。


    「まあ、あやしいやつじゃなさそうですね」

     僕の言葉を無視したように、石川先生は順子さんの後を追った。

     僕と石川先生は遠方から何気なく三人の様子をうかがった。


     T字路の突き当たりで、車いすの老人と順子さんが笑顔で挨拶を交わしている。

     車いすに手をかけた青年は、硬い表情のままうつむいていた。


     やがて青年が車いすの方向を変えると、順子さんが寄り添うようにしてT字路の山側に消えていった。


     僕と石川先生が早足で駆け出す。

     T字路から山側を除くと三人は、白い大きな家の門をくぐろうとしていた。


    「でかい家やなあ」

     石川先生が見上げる。

     よほどの資産家に違いない。


     しばらくすると順子さんら三人は二階のバルコニーに姿を現した。

     談笑しながら老人が海側を指さしている。


     何を話しているのか、順子さんが手を合わせて大笑いしている。


    「ほんまにのんきなおばはんやで」

     石川先生は額の汗をハンカチでぬぐった。

     170996_1

     察知した石川先生が動く。

     僕は人混みに紛れ、早足で順子さんを追い越すと木陰に立って見下ろした。


     石川先生は順子さんを追い越さず、坂の下で塀にもたれかかった。

     立ち尽くす順子さんの視線の先を探す。


     うろこの館と反対方向に伸びる小道は、僕の位置からは民家の屋根に遮られ一番奥までは見えない。

     ただ、順子さんの釘付けになった様子は何かをとらえているはずだ。


     僕は再び順子さんに向かって下ることにした。

     小道の奥が徐々に開ける。


     完全に小道の奥を捕らえた時、足が止まりそうになった。


     そこには、車いすの老人と傍らにうら若い青年が立っていた。

     僕は慌てて石川先生に駆け寄った。


    「ピアノマンおったか」

     石川先生が低い声で訊く。


    「車いすの方でした」

     石川先生はポカンと口を開けた。


    「車いす、ね。なるほど」

     石川先生は雲ひとつない天を仰いだ。

    02301_1900685_01

    「ここから、僕と石川先生は気づかれないよう離れて歩きましょう。うろこの館はそのバス停を左に上がったところです。少し坂がきついですがすぐですよ」

     僕が言い終わるが早いか、順子さんは腕時計に目を落として歩き始めた。


     石川先生はいつの間にかサングラスをかけている。

     炸裂した太陽の周りに雲はない。

     青一色の空が抜けているだけだ。


     うろこの館は異人館巡りの中で一番人気だ。

     サターンの椅子というのがあって、それに座って願い事を唱えればかなうらしい。

     僕も座ったが、宝くじのひとつも当たらなかった。


     うろこの館に続く細い坂道にさしかかる。

     観光客の往来の中に順子さんの後ろ姿が見え隠れした。


     石川先生は僕の後ろについている。

     前傾で腰を折って上っていた順子さんの背筋がぴんと伸びた。


     うろこの館の玄関に到着したようだ。

     左右に首を振ってピアノマンを探している。


     と、順子さんの動作が一点の方向を向いて止まった。

     ピアノマンを発見したのだろうか。


     僕は石川先生に振り返って表情で合図をした。

    a6c082547e2db5b2ae816942db8a5dff

    このページのトップヘ