風来の万博小娘

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    2019年04月

    「日焼けしたら大変やろう思うて、センター街の帽子屋で買うたんや。店のお姉さんがこれがこの服に一番似合う言うて見立ててくれたんやで」

     と順子さんは僕と石川先生を見上げた。


    「ピアノマン、びっくりすんで」

     と石川先生が肩を揺する。


    「今朝から、頭かてセットしてきたんや。準備ばんたんやで。ピアノマンが高倉健みたいな人やったらどないしょうか」

     順子さんは人目もはばからず大きな声を上げた。


     石川先生が口元を緩めて歩き始める。

     僕と順子さんが後をつけた。


     異人館までは二十分ほどで到着する。

     土曜日なのでものすごい人出だ。


     半分ほど来たところで、バスツアーの団体に紛れた。

     みんな異人館を目指している。

     上り坂が徐々にきつくなってきた。


    「ガバチャさん、うろこの館って知ってんの」

     と順子さんが息を刻む。


    「以前何度か行ったことがあります」

     順子さんは首を縦に小さく振っただけで、ハァハァと息を荒げて歩き続けた。


     異人館通りに出ると、案内所のところに人だかりがある。

     石川先生が足を止めた。

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    「なんかテレビドラマみたい」

     順子さんが少女のようにはにかむ。


    「ママ、何着て行きはんのん」

     ヤスコさんが笑顔で訊く。


    「着物がいいかしら。暖かくなったから派手なワンピースもいいかな」

     はしゃぐ順子さんに石川先生が苦笑いをした。


     土曜日。午前中の雨が上がって、さわやかな五月晴れが広がった。


     六甲山の濃い緑が沸いて目に目映い。

     阪急三宮駅の西口で順子さんを待った。


     石川先生は既に現れ、喫煙場所でたばこを燻らせている。

     待ち合わせの二時半ちょうどに順子さんは現れた。


     萌葱色のワンピースにつばの大きな白い帽子が揺れている。

     一目見た石川先生がうつむいて口を押さえた

     確かに順子さんには派手すぎる。


    「お待たせ。暖かいわねー今日は」

     駆けつけて順子さんは息を切らせた。


    「大きな帽子ですね」

     僕が言うと、順子さんは大げさに首を振って帽子のつばを揺らせた。

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    「ね、いい人だったでしょ」

     と順子さんが同意を求める。石川先生は口を結んだままだ。


    「なんでお近くやのにお店の方にこられないんやろ」

     そう言ってヤスコさんが口をとがらせる。


    「そんなんどうでもよろしいやん。ピアノマンに会うの楽しみやわ」

     と順子さんは一人ダンスのステップを踏んだ。


    「どうします」

     僕は石川先生を上目遣いで見た。


    「婆さんだけ、行かせるわけにはいかんだろ」

     石川先生は天井を見上げると自分のあごをさすった。


     僕と石川先生がピアノマンに気づかれないように、順子さんの後をつけることになった。

     ヤスコさんは万が一に備えて店で留守番をすることになった。

     

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    「あのぉ、どちらにお住まいなんですか」

    「神戸の異人館の近くです」

     みんながえっと声を上げそうになったが、実際声を上げたのは順子さんだけだった。


    「えーっ、す、すぐそばやないですか」

    「はい。ブログの地図を見たら店がえらく近いので私も驚きました」


    「じゃあ、ぜひ一度お店の方に。そう今晩でもいかがですか」

     順子さんの声が弾む。


    「ええ、行きたいのですが事情があってなかなか難しいんです」

     ピアノマンの声が沈む。


    「そうですか。じゃあ、すぐ近くなのであたしの方からいつでもご都合の良いときを言っていただいたら伺いますわ」


    「ありがとうございます。じゃあ、そうですね、今週の土曜日の三時頃とかどうですか。場所は異人館のうろこの館の前あたりで」


    「わかりました。電話番号もわかってるし。大丈夫ですよ」

     電話を終えた順子さんは上機嫌だ。


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     翌日、メッセージでのやりとりをすることになった。


     僕の予想どおり、ピアノマンは電話番号を数字ではなくひらがなで伝えてきた。

     アメブロは電話番号の表示を禁止している。

     その抜け道として、若い者の間では番号をひらがな表示で伝え合っている。

     

     僕は、ヘンリーの開店前に順子さん、石川先生、ヤスコさんの三人を集めた。

     電話番号を伝えると順子さんはすぐさま携帯をバックから取り出した。


     その携帯を石川先生が素早く奪い取る。みんなに会話が聞こえるように通話音を上げる設定をしたようだ。

     再び携帯を手にした順子さんは、顔を近づけ食い入るように番号を押した。


    「もしもし、ピアノマンさんですか」

     順子さんの声が上ずる。

    「あっ、そうですが。もしかしてじゅんちゃんですか」

     ピアノマンの声はかすれてかなり高齢だ。


    「い、いつもコメントくれてありがとう」

    「いえ、まあ、歌がすごく上手で動画を何回も見てますよ」

     順子さんは目を輝かせて僕らを見回した。


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     やがて閉店間近となり、客は誰もいなくなった。コメントのことを話すと、「じゃあ、電話番号訊いてよ」と順子さんは目を輝かせた。

     酔っているのか頬が赤い。


     いつの間にかカウンターの中にいる石川先生が口を挟んだ。

    「ガバチャさん、順子ママのやりたいようにやらせてやってください。いっぺん痛い目に遭わんとこのおばはんはわかりませんわ。年取っても中身は子供のままなんやから」


     順子さんは石川先生に向かってべーっと舌を出した。


    「ただ、電話番号を裏技で送ってこられるような方は普通の方ではないですよ。僕のようにパソコンの知識がある若い男がついているかもしれませんし」


    「危ないと感じたらすぐ止めたらいいやん。あたしだってそのぐらいのことはわかるわよ。七十三年も生きてきたんやで。それにガバチャさんって強い味方がおるやんか。あはは」

     僕は閉口した。

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    「わ、わかりました。ちょっと文章考えてみます」

     順子さんの手がすーっと引っ込む。


     僕は順子さんの言うとおりのコメントを返すことにした。ピアノマンの方に関心を向かせないと、何か変なことになるような気がした。


     早速、ヘンリーで会えませんか、とのコメントを送った。

     三十分ほどしてピアノマンからコメントが返ってきた。順子さんは客の対応に追われている。コメントを開いて僕は眉を潜めた。


    『お店よりわたしの家で会いませんか。もしじゅんちゃんにその気があれば電話番号をメッセージの方に表示しますので電話ください』

     誰でも見られるコメント欄に出会い系の内容は御法度だ。


     アメブロの管理者からの規制がかかるのではないのか。

     それに、メッセージで電話番号を伝えるすべを知っているとしたら、ただのじいさんじゃない。僕と同じように若いゴーストライターがやっている可能性が高い。


     順子さんはいつもどおり、お客さんと一緒になって歌声や笑い声の中で弾けている。

     僕はパソコンの画面に向かうと思案した。

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    「あたしの動画見てるから婆さんやいうのはわかってるわなあ。同年代ぐらいかな。それとも年下かしら」

     順子さんは口元を緩めた。


    「順子ママ七十三やろ。年下でも六十後半、年上なら八十前のじじいやで。心臓によろしいないわ」

     端っこの石川先生が、水割りのグラスを揺らしながら笑う。カウンターの隅が指定席になっているようだ。


    「あたし会いたいわ。ガバチャさん今度はそないに書いて返信してよ」

     順子さんの言葉に僕は目を泳がせた。


    「もう少しやりとりを続けてみてはどうですか」

     僕の言葉を遮るように順子さんは口を開いた。


    「あたしら年寄りには残された時間がないんや。ちゃっちゃと勝負してあかなんだらあかなんだでええんや」

     石川先生が口を押さえてぶーっと吹く。


    「何を期待してまんのや。ほんまに。きょう日の年寄りはかなわんわー」

     石川先生が肩を揺すると順子さんが目をつり上げる。


    「女は一生女なんですっ。ほっといてんかぁ。な、ガバチャさん書いてえな、今度会いましょうって」

     順子さんの細い手が僕の膝の上にそっと伸びた。


    「ガバチャさんは若すぎるやろ。こんなお婆ちゃんとは」

     声を殺した順子さんに、僕はゴクリと息をのんだ。七十三と言えば僕の母と同じ年齢だ。


    「あたしずっとひとり暮らしでさみしいのよ」

     石川先生にもヤスコさんにも届かない小さな声だ。


     順子さんの細い手が、僕の太ももをなでる。


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     一月ほど経った頃、歌うヘンリーのじゅんちゃんにコメントが入った。初めてのコメントだった。


    『こんにちは。すてきな歌声ですね。いつも楽しく見させていただいてます』

     ハンドルネームはピアノマンだった。僕は順子さんに成り代わりブログ運営をしている。


     さてどうしようかと思ったが、コメントは一回こっきりで終わる可能性もあるので、軽く返信をした。


    『コメントありがとう。これからもがんばって歌うので、応援よろしくね』

     ところが、その日から更新の度にコメントが入るようになった。

     やむなく順子さんに報告した。順子さんは喜んだ。


     コメントが来るのを毎日待った。そのうち僕に、返信文を書いたメモ書きを渡すようになった。


    「ピアノマンてどんな方なんやろうか」

     順子さんが思いを馳せるように両手を合わせる。


    「悪い人じゃなさそうですね。言葉遣いも紳士的だし年配の方のような気がします」

     僕が言うとヤスコさんも頷いた。

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     翌日、僕はつくったホームページを見せるためにヘンリーを訪れた。アメーバーブログなのだが、十分に質は高い。カウンターに置いたノートパソコンに順子さんとヤスコさんが食い入る。石川先生はカウンターの隅で、一人カラコロと水割りのグラスを傾けていた。

    「す、すごいわーこれ。ほんまにただでよろしいの。お金払うわ」
     順子さんが声を上げる。

    「こんなん、ただですぐにできるんですよ。お金もらうほどのもんじゃないですよ」
     僕はマウスをクリックしながら、ユーチューブの操作をした。

    「いいですか、ここに動画を作成することができます。順子さんが歌うところをデジカメで撮ってアップロードすれば全世界の人に見てもらえますよ」
     順子さんとヤスコさんは口を丸く開けたまま、僕の顔をのぞき込んだ。

    「もうあのホームページ止めときなあって」
     石川先生が口を挟むと、順子さんは首を何度も縦に振った。

    「今日はデジカメ持ってきてるので後で歌うところ撮ってブログに載せてあげますわ。そうですね、ブログのタイトルは歌うヘンリーのじゅんちゃんでどうですか」
     順子さんは子供がはしゃぐように小躍りした。

     ヤスコさんが微笑んで順子さんを見上げる。客が入ってきて店が賑やかになると、僕はデジカメで写真や動画を何枚も撮った。

     その後もホームページの代金請求のメールはしつこく届いた。順子さんが僕との顛末を書いて返信すると、やがてメールは収まった。やましい請求だったのだろう。ホームページは消された。
     順子さんは、「もうガバチャさんのブログがあるからあんなのいらないわよ」と相好を崩した。

     僕はガバチャさんと呼ばれるようになっていた。

     店のメンバーに素性は明かしていない。駅前の会社勤めでこの近所に社宅がある、との情報しか伝えてない。

    「名前は、ガバチャというニックネームで呼んでください。糖尿病で毎日グァバ茶を飲んでたら、みんなからガバチャと呼ばれるようになりましたので」
     順子さんはパチンと両手をたたいて、合ってる合ってるイメージとぴったり、と目を細めた。

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