風来の万博小娘

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    歌うヘンリーのじゅんちゃん

    「あのぉ、どちらにお住まいなんですか」

    「神戸の異人館の近くです」

     みんながえっと声を上げそうになったが、実際声を上げたのは順子さんだけだった。


    「えーっ、す、すぐそばやないですか」

    「はい。ブログの地図を見たら店がえらく近いので私も驚きました」


    「じゃあ、ぜひ一度お店の方に。そう今晩でもいかがですか」

     順子さんの声が弾む。


    「ええ、行きたいのですが事情があってなかなか難しいんです」

     ピアノマンの声が沈む。


    「そうですか。じゃあ、すぐ近くなのであたしの方からいつでもご都合の良いときを言っていただいたら伺いますわ」


    「ありがとうございます。じゃあ、そうですね、今週の土曜日の三時頃とかどうですか。場所は異人館のうろこの館の前あたりで」


    「わかりました。電話番号もわかってるし。大丈夫ですよ」

     電話を終えた順子さんは上機嫌だ。


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     翌日、メッセージでのやりとりをすることになった。


     僕の予想どおり、ピアノマンは電話番号を数字ではなくひらがなで伝えてきた。

     アメブロは電話番号の表示を禁止している。

     その抜け道として、若い者の間では番号をひらがな表示で伝え合っている。

     

     僕は、ヘンリーの開店前に順子さん、石川先生、ヤスコさんの三人を集めた。

     電話番号を伝えると順子さんはすぐさま携帯をバックから取り出した。


     その携帯を石川先生が素早く奪い取る。みんなに会話が聞こえるように通話音を上げる設定をしたようだ。

     再び携帯を手にした順子さんは、顔を近づけ食い入るように番号を押した。


    「もしもし、ピアノマンさんですか」

     順子さんの声が上ずる。

    「あっ、そうですが。もしかしてじゅんちゃんですか」

     ピアノマンの声はかすれてかなり高齢だ。


    「い、いつもコメントくれてありがとう」

    「いえ、まあ、歌がすごく上手で動画を何回も見てますよ」

     順子さんは目を輝かせて僕らを見回した。


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     やがて閉店間近となり、客は誰もいなくなった。コメントのことを話すと、「じゃあ、電話番号訊いてよ」と順子さんは目を輝かせた。

     酔っているのか頬が赤い。


     いつの間にかカウンターの中にいる石川先生が口を挟んだ。

    「ガバチャさん、順子ママのやりたいようにやらせてやってください。いっぺん痛い目に遭わんとこのおばはんはわかりませんわ。年取っても中身は子供のままなんやから」


     順子さんは石川先生に向かってべーっと舌を出した。


    「ただ、電話番号を裏技で送ってこられるような方は普通の方ではないですよ。僕のようにパソコンの知識がある若い男がついているかもしれませんし」


    「危ないと感じたらすぐ止めたらいいやん。あたしだってそのぐらいのことはわかるわよ。七十三年も生きてきたんやで。それにガバチャさんって強い味方がおるやんか。あはは」

     僕は閉口した。

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    「あたしの動画見てるから婆さんやいうのはわかってるわなあ。同年代ぐらいかな。それとも年下かしら」

     順子さんは口元を緩めた。


    「順子ママ七十三やろ。年下でも六十後半、年上なら八十前のじじいやで。心臓によろしいないわ」

     端っこの石川先生が、水割りのグラスを揺らしながら笑う。カウンターの隅が指定席になっているようだ。


    「あたし会いたいわ。ガバチャさん今度はそないに書いて返信してよ」

     順子さんの言葉に僕は目を泳がせた。


    「もう少しやりとりを続けてみてはどうですか」

     僕の言葉を遮るように順子さんは口を開いた。


    「あたしら年寄りには残された時間がないんや。ちゃっちゃと勝負してあかなんだらあかなんだでええんや」

     石川先生が口を押さえてぶーっと吹く。


    「何を期待してまんのや。ほんまに。きょう日の年寄りはかなわんわー」

     石川先生が肩を揺すると順子さんが目をつり上げる。


    「女は一生女なんですっ。ほっといてんかぁ。な、ガバチャさん書いてえな、今度会いましょうって」

     順子さんの細い手が僕の膝の上にそっと伸びた。


    「ガバチャさんは若すぎるやろ。こんなお婆ちゃんとは」

     声を殺した順子さんに、僕はゴクリと息をのんだ。七十三と言えば僕の母と同じ年齢だ。


    「あたしずっとひとり暮らしでさみしいのよ」

     石川先生にもヤスコさんにも届かない小さな声だ。


     順子さんの細い手が、僕の太ももをなでる。


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     一月ほど経った頃、歌うヘンリーのじゅんちゃんにコメントが入った。初めてのコメントだった。


    『こんにちは。すてきな歌声ですね。いつも楽しく見させていただいてます』

     ハンドルネームはピアノマンだった。僕は順子さんに成り代わりブログ運営をしている。


     さてどうしようかと思ったが、コメントは一回こっきりで終わる可能性もあるので、軽く返信をした。


    『コメントありがとう。これからもがんばって歌うので、応援よろしくね』

     ところが、その日から更新の度にコメントが入るようになった。

     やむなく順子さんに報告した。順子さんは喜んだ。


     コメントが来るのを毎日待った。そのうち僕に、返信文を書いたメモ書きを渡すようになった。


    「ピアノマンてどんな方なんやろうか」

     順子さんが思いを馳せるように両手を合わせる。


    「悪い人じゃなさそうですね。言葉遣いも紳士的だし年配の方のような気がします」

     僕が言うとヤスコさんも頷いた。

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     翌日、僕はつくったホームページを見せるためにヘンリーを訪れた。アメーバーブログなのだが、十分に質は高い。カウンターに置いたノートパソコンに順子さんとヤスコさんが食い入る。石川先生はカウンターの隅で、一人カラコロと水割りのグラスを傾けていた。

    「す、すごいわーこれ。ほんまにただでよろしいの。お金払うわ」
     順子さんが声を上げる。

    「こんなん、ただですぐにできるんですよ。お金もらうほどのもんじゃないですよ」
     僕はマウスをクリックしながら、ユーチューブの操作をした。

    「いいですか、ここに動画を作成することができます。順子さんが歌うところをデジカメで撮ってアップロードすれば全世界の人に見てもらえますよ」
     順子さんとヤスコさんは口を丸く開けたまま、僕の顔をのぞき込んだ。

    「もうあのホームページ止めときなあって」
     石川先生が口を挟むと、順子さんは首を何度も縦に振った。

    「今日はデジカメ持ってきてるので後で歌うところ撮ってブログに載せてあげますわ。そうですね、ブログのタイトルは歌うヘンリーのじゅんちゃんでどうですか」
     順子さんは子供がはしゃぐように小躍りした。

     ヤスコさんが微笑んで順子さんを見上げる。客が入ってきて店が賑やかになると、僕はデジカメで写真や動画を何枚も撮った。

     その後もホームページの代金請求のメールはしつこく届いた。順子さんが僕との顛末を書いて返信すると、やがてメールは収まった。やましい請求だったのだろう。ホームページは消された。
     順子さんは、「もうガバチャさんのブログがあるからあんなのいらないわよ」と相好を崩した。

     僕はガバチャさんと呼ばれるようになっていた。

     店のメンバーに素性は明かしていない。駅前の会社勤めでこの近所に社宅がある、との情報しか伝えてない。

    「名前は、ガバチャというニックネームで呼んでください。糖尿病で毎日グァバ茶を飲んでたら、みんなからガバチャと呼ばれるようになりましたので」
     順子さんはパチンと両手をたたいて、合ってる合ってるイメージとぴったり、と目を細めた。

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    「なんやドメインやらホームページの更新代やら言うてて、ただホームページもいっこも更新されてないし、ほんまに一万円も払わなあかんのやろか思うてしばらく振り込んでないんよ」
     順子さんは立ち上がると、僕の隣に座った。

    「騙されてたんやって」
     石川先生の言葉に順子さんはため息をついた。

    「どないしたらええんやろかねえ?」
     ヤスコさんが、僕の顔をのぞき込む。

    「契約書も交わしてないんやったら、ほっといたらいいんじゃないですか」
     僕が言うと、「お客さんの言うとおりや」と、石川先生は水割りを勢いよく空けた。

    「せやけど三〇万円もかけてせっかくつくってもうたホームページが止めになったらもったいないやんか」
     順子さんが言い終えるが早いか、「ほとんど見られてないって。ぜんぜん客増えてえへんやんか」
     石川先生は語気を強め、口元だけで笑顔を作った。

    「三十万って高すぎですよ。なんなら僕が今晩ただのホームページつくっといてあげますから、それと見比べてみてください」
     順子さんは目を丸くして何度も頷いた。何もわからないお年寄りを騙してお金を巻き上げるのは簡単なことだ。先方は同じ手口で複数の振込額を手にしていることだろう。

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    「それなんかおかしいって。詳しい人に相談してみた方がええよ」
     そう言って、石川先生はヤスコさんに水割りを頼んだ。

    「このドメインてなんやの?」
     順子さんは石川先生に携帯を渡した。

    「よくわからん。お客さん詳しくないですか」
     石川先生は僕に携帯を渡しながら話を振った。

     メールには、毎月振り込んでいただいてる一万円のドメイン代が五ヶ月分滞納されてます。このままではホームページを停止せざるをえません。至急振り込んでください、と書かれてあった。

     僕はいささかの知識があった。困った様子だったし、他に客もいないので助言した。

    「ドメインとはホームページの住所みたいなもんですよ。それを停止したらホームページは見られなくなります。ただ、無料のドメインもありますよ」

     ほぇっ、と順子さんがすっとんきょうな声を上げる。

    「毎月一万円も払ってきたのに」
     と順子さんはポカンと口を開けたまま僕を見た。

    「ほらね、だから早よやめとけって言うたのに」
     石川先生は他人ごとのようにククッと笑った。

    「契約書は交わしているのですか?」
     僕の問いに、順子さんが首を横に振る。

    「先方は、その一万円を何代って請求してるんですか。ドメイン代ならせいぜい千円足らずですよ」
     僕は水割りをカラリと傾けた。

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    「あら石川先生、おはようございます」
     初老の男性が現れた。背はそれほど高くないが、肩幅が広くてがっしりした体躯だ。健康的な褐色の肌を備えている。石川先生は、僕にちらりと目を合わせただけでピアノに向かった。

     演奏が始まる。どこかで耳にした曲が次々と演奏された。ヤスコさんがリクエストを促す。僕は、カーペンターズのスーパースターとビートルズのイエスタディを頼んだ。石川先生は、メモに目を落とすとすぐに演奏に取りかかった。

     水割りをカラリと傾ける。えもいわれぬ心地よさに浸りながら、店内を見回した。額が掛かっていて、中に若いドレス姿の娘とリーゼントの男性が肩を寄せて写っている。僕の視線に気づいた和服姿の女性が、微笑んで口を開いた。

    「五十三年前の私です」
     えっ、と目を凝らすと確かにそんな感じだ。

    「かわいいですよ。歌手かアイドルみたいじゃないですか」
     僕の言葉に、「だって歌手やもん」と着物姿の女性はアハハと笑った。

    「歌手なんですか」
     僕が目を丸くすると、この写真の頃はねえ、と言って着物姿の女性は遠くを見るような視線で話を始めた。

     彼女の名は石井順子。七十三歳で神戸を代表するジャズシンガーだ。十九歳で上京し江利チエミなどと歌手としての活動を始めた。が、プロデューサーらとそりが合わずケンカをして一年足らずで神戸に戻ってきた。ジャズシンガーとして身を立てる意思に変わりはなく、地元神戸のジャズバーなどで地道な活動を続けた。やがてこのヘンリーという店の主人と知り合い、結婚をして店の経営を続けてきた。阪神大震災で廃店を余儀なくされたが、常連客らのカンパにより店を再建、五年前に主人が心筋梗塞で急死し、現在に至っている。

    「写真に収まっている男前は、若き日のミッキーカーチスよ」
     と、順子さんが目を細める。波瀾万丈を予期せぬあどけない少女の瞳が、額の中で輝く。携帯の着信音が鳴った。順子さんは慌ててバックから携帯を取り出した。めがねを鼻にずらし、上目遣いで携帯を見ている。

    「またや、しつこいメールやわ。ほんまに」
     順子さんが口をとがらせると、ピアノの演奏を終えた石川先生が寄ってきた。

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     行きつけのスナックに上がろうとしたら、蹴躓いて階段を踏み外した。転がり込んだのは地下にある薄暗いバーだ。着物姿の小柄な女性が、目を丸くして見上げる。

    「い、いらっしゃい」
     あはぁ、と僕は息をついて頭をかいた。

    「ヤスコさん、お客さんよー」
     厨房からピンクのカーディガンを着た痩身の女性が現れた。着物姿の女性よりかは少し若いだろうか。僕はガード下の串カツ屋で酎ハイを飲み過ぎ、足下がふらついていた。

    「ようこそいらっしゃい。何にいたしましょう」
     ヤスコさんと呼ばれる女性が、目を細めておっとりとした口調で訊く。僕は仕方なくカウンター席に座った。

     高そうな店ではないが、初めてなので不安だ。並べられたボトルの中で、一番安い値札のついたオールドを頼んだ。薄暗い店の奥には、十人ほどが座れるボックス席がある。その向かいにアップライトピアノが置かれ、取り囲むようにウッドベースやドラムがあった。

    「ピアノの上手な石川先生がもうすぐいらっしゃいますので、聴きたい曲があったらリクエストしてくださいね」
     着物姿の女性はメモ用紙を差し出した。

    「あのぉ、ジャズとか全然知らないんですけど」
     僕がはにかむと、「いいんですよ。歌謡曲でも何でも。レパートリー三千曲ですから」
     着物姿の女性は白い歯をのぞかせた。カンカラリンとドアが開く。

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