風来の万博小娘

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    大都会の裏側で

     律子と木村は五メートルほど離れると、餌をハリに刺して海中に落とした。
     小さな玉ウキが皺だった海面で揺れる。

     玉ウキは二人の間隔を保ったまま斜め方向に流れていく。
     律子が玉ウキを見失いリールを巻く。
     合わせるように木村も巻く。

     何の手応えもなく玉ウキは寄ってくる。
     水面を切ると玉ウキを支点にしてオモリと餌が風に揺れる。
     掴んでみると餌のオキアミの上半身が無かった。

    「喰われてたんや」
     律子は木村に見せると無邪気に笑った。

     それっきり餌が食いちぎられることはなかった。
     結局昼までの二時間、餌がふやけたので三回ほど付け替えただけだった。

     岸壁から竿先だけ出して昼食にした。
     コンビニ弁当は冷え切っている。

     風は陸から海に向かって吹いていた。
     ナイロン袋が風に舞う。

     陸よりには倉庫や建物もあるが、埋め立て地の先端というのは風を遮るところがない。
     律子は硬くなった飯を箸で起こしながら、荒涼とした空き地を見渡した。

     間近の高層ビル群がここも大都会の一部だということを伺わせる。
     が、ふと、こんな空き地に何の意味があるのだろうかとも思った。

    「ここってうちの会社が締め固めたんかなぁ」
     と、木村が焼き魚の骨を口から引っ張り出した。

     律子は言われてなるほどと思った。
     目前の雑草の大地はよく見ると真っ平らである。

     ローラーで整形しなければこうはならない。
     木村は弁当と箸を持ったまま立ち上がった。

     今居る十メートルほどのコンクリート舗装から雑草まで行くと地面を蹴った。
     律子も続いた。

     つま先に固い感触があった。
     草は根っこだけ残してちぎれた。

    「ん、やっぱ締め固めてあるわ」
     木村は口元を緩めた。

     ローラーで整形しても、雑草が生えたまま放置されるのだったら締め固める意味はない。
     きっとつくる時には立派な利用計画があったのだろう。

     荒涼とした空き地に空っ風が吹きすさぶ。
     二人は黙って元の場所に戻った。

     木村は食べ終わった弁当箱を海に向かって投げた。
     風に乗った弁当箱は予想以上遠くまで飛んでいった。

     すげー、と木村が少したまげた表情で振り返る。
     律子は、もっと飛ばしてやろうと立ち上がった。

     弁当箱をフリスビーのように持って格好を付けた。
     木村が笑う。

     律子はありったけの力で弁当箱を放った。
     なぜか、弁当箱は直ぐに急降下して、あえなく足下の海水に着水した。

    「お前へたっぴやなー、ちょーへたっぴー」
     と、木村が律子の弁当箱を指さして嘲る。

     木村は何を言っても嫌みのない人間だった。
     仕事で詰られたり嘲られたりしたこともあるが、全然腹が立たない。
     律子は自分が寛容だからとは思っていない。

     同じように詰られても他者に対しては不快感を持ち反発もする。
     木村に対してだけなのだ。

     どことなく憎めない人間というのはいる。
     それが木村のような人間だと律子は思っていた。

     例えば今のゴミのように、捨ててもどうってことない場合には何の躊躇もなく捨ててしまう。
     誰か人がいれば彼は決して捨てなかっただろう。

     仕事にしても、あっさり休んでパチンコに行ってしまう。
     有給休暇とはそう言うものだとわかっていても、なかなか実行出来るものではない。

     むしろ堂々とやれば勇ましくもある。が、木村の場合、仮病を使うのだ。
     それも見え透いた仮病。

     木村君は今日頭痛で休むらしい、と皆に伝える上司の口元も緩んでいる。
     豪雨で作業中止などという日なので、彼も許されるのである。

     それでも、会社のある日にパチンコなどいささか気が引けるのか、彼なりに注意は払っているようだ。
     終日パチンコ屋にいれば強烈な煙草の臭いが服に染み付く。
     木村は寮のおばさんにばれないようにと、帰ったら真っ直ぐ自室に向かい着替えるのだ。

     で、なぜばれるのかというと、そんな時に限って勝っているのである。
     勝てば黙っていられない性格。

     同僚らの帰宅を待ちかまえ、絶対に言うなとの前置きでパチンコの勝利の方程式が説かれる。

     また、木村は不器用でもある。
     ソフトボールをすれば三振、トンネル。

     ボーリングをすればガーターの連続。
     体格があり腕力が強いのがよけい嘲笑に拍車を掛ける。

      仕事でも、律子がうまくいかずとまどっていると
     「ちょっとオレにやらせてみろ」
      などとしゃしゃり出るが出来たためしがない。

     そんな木村に詰られても嘲られても全く効き目はないのだ。
     お前は何なんだよ、他人に言えるがらかよ、と心の中で言ってしまえば自然と笑みもこぼれてくる。
     とにかく憎めない奴だと律子は思っていた。

     いつの間にか薄日が差して暖かくなっていた。
     少し風が収まったような感じだ。

        社長の、「かつて」と言う言葉は的確だった。
        臨海産業は、かつての栄光になっていた。
        律子や木村などの新米にも、会社の今後が芳しくないとの噂は直ぐに届いたし、埋め立て工事は全盛期の半分以下に落ちていた。

     それでも律子らが採用されたのは、運が良かったと言うしかない。
     団塊の世代が定年を迎え、技術者が不足したのだ。

     この会社ではその現象が顕著に起こった。
     仕事が減ったとはいえ必要以上に社員減れば会社がもたない。

     工業高校を出た律子や木村は、幸運な世代だと言える。

    「人間良いことがあったらそれに釣り合うだけの悪いことがあるって言うやんか。その逆もあったりするけど」
     と、木村が牛丼屋の豚丼を頬張る。

    「それって運良く大企業に入れたけど、パチンコで負け続けてるってこと」
    「ま、それもそうやけど」
     と木村はすまなそうに笑って、カラになった丼を意味ありげに少し持ち上げた。
     律子が笑う。豚丼の支払いのことだった。

     土日は寮のおばさんが休みで飯がないのだ。
     木村は今日一日で四万もパチンコで負けていた。

     律子も一時、三万円負けていたが、最後に連チャンして二万七千円取り戻した。三千円負けているが、なぜか勝ったような気分だ。

    「なあ、今度の土曜日チヌ釣りに行かへんか?」
     食い終えた木村がお茶をすすりながら言う。

    「課長の言ってた穴場に?」
    「そこに行ったら課長に会うかもしれんやんか。どっか別のとこにしようや」
     木村の顔はあまり楽しそうではない。

     木村の動機が釣りに行きたいのではなく、パチンコから逃れたいのは明らかだ。
     逃れられるのなら何でも良いのだろうが他には思いつかないのだろう。

     似たような気持ちの律子は無言で頷いた。
     しかし、二人とも海釣りの経験は全く無い。

     誰か経験者を誘えば心強いが、益々田舎者を露呈することにもなる。

     二人だけなら釣れても釣れなくても気も楽だ。
     どうせ暇つぶしなのだ、わからなければ近くにいる釣り人に聞けばいい。

     と、律子の頭にある釣り人が思い浮かんだ。

     週に一度か二度、仕事中に隣の埋め立て地に現れる老人だ。
     老人はいつも決まった時間に白の軽四ワンボックスで現れる。

     四号岸壁と呼ばれる際に車を止めてハッチを開けると、竿入れと小さなカートを取り出す。
     それを引っ張って埋め立て地の先端まで歩いていくのだ。

     よほどの釣り好きらしく、この現場が始まった二年前から既に来ていたらしい。

     現場のみんなから、「三時のじいさん」と呼ばれていた。
     この付近では他には釣り人を見かけたことはあまりない。
     あんな老人が足繁く通うには、よほどの穴場に違いない。

     心配していた台風は東に逸れるようだ。天気予報を見ていた井上律子のポケットから携帯電話の着メロが鳴った。電話の向こうで木村が、「予定通り行こうや」と言う。

     誘ったのは木村の方だった。強風で海水が混ざった後はよく釣れるらしいんや。と木村は、「らしい」を強調した。山育ちの木村も海釣りは素人なのだ。

     同期入社の二人は妙に馬があった。共通点は、お互いの出身が山奥の田舎者同士というだけだった。律子は奈良の東吉野村、木村は和歌山の北山村だ。律子の実家は東吉野村で土建会社を営んでいる。四人兄弟の末っ子、三人の兄と共に育てられた律子は男勝りだ。父親からの勧めもあって工業高校に進学した。入った環境システム科は、科名が変更される前は土木科だ。つまり、土木作業員予備軍のいかつい男ばかり。

     律子は小柄だが器量はいい。他にも女性職員は数人いるが一番人気だ。律子はなぜか女性とは気が合わなかった。生い立ちのせいなのかもしれない。が、他の男性から誘われても断っていた。結局、都会の人間との付き合いが億劫なのだ。同じ田舎者の木村となら気を遣わなくて済む。木村には悪いが、決して恋愛感情があるわけではなかった。

     木村と海釣りに行くことになったのは十日ほど前にさかのぼる。
      仕事が一段落して課の職員らで飲み屋に行った時のことだ。

     近くの埋め立て地に穴場がある、と上司が釣りの話を始めた。
    「そこでな、四十五センチものチヌを釣り上げたんや」
     上司は、両手の人差し指を立てて大きさを表した。釣り方、料理の仕方などで場が盛り上がった。山育ちの律子はチヌがどんな魚かも知らない。木村は話に加わって笑っていた。律子は内心しらけて一人料理を食べた。

     翌日、律子は木村に「チヌってどんな魚?」と訊いてみた。
    「実はオレも知らんのや」
     と、木村は周りを伺いながら小声で答えた。

    「あんたなぁ、昨日の雰囲気からしててっきり知ってるのかと思ったのに」
     律子は鼻で笑った。木村はバツが悪そうな顔で「今度行ってみるか?」と言った。律子は「まあ考えとくわ」と返事を濁した。

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